孤独の鳥

孤独の鳥
近澤可也 作

このところ毎夜、同じ夢を見る…。
ここは、どこだろう。海だ…海のにおいがする…。波の音も聞いたような気がする。眼をあけようとしたが,まぶたがひらかない。
……どれくらい時間がすぎたのだろうか。モヤが、あたり一面にたちこめ何も見えない。

……すこしずつモヤがきれはじめた。

岬だ! いつもの岬が見える……。
海に面した岸に立って、海は金色に輝いている。その上空を、一羽の鳥が輪を描いて飛んでいる。時には高く舞い上がり、時にはスッと低く降りてくる。高く……低く……、高く……低く……。

いつも一羽で…群れることなく…飛びつづける【孤独の鳥】――。

太陽は海のはて…水平線に沈もうとしている。燃えるような太陽。……太陽はどんどん大きくなり、まるで空飛ぶ円盤のようになった。その円盤からは、たえまなく光が降り注いでいる。あたり一面がキラメイテ、透明になり、燃えあがった!

逆光を浴びて太陽の中に【孤独の鳥】は消えていく……。
【孤独の鳥】は、姿を消す前に俺にささやく……
『その方法は五つ。

一 つ:できるだけ高く舞い上がること。

二つ:たとえ同じ種とでさえ、一緒に飛ぶことはしない。

三つ:くちばしを突き出す、するどいくちばしを。

四つ:決まった色を持たない。

五つ :優しく歌う…』
:【孤独の鳥】の言葉です。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……13

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……13

近澤可也 作
<……ジュンの決意……>
風が強くなり、小屋の窓をガタガタたたいた。

海なりが強くなり、ジュンは目覚めた。海の音がこれほど強いものなのか!?初めて知った。海がジュンになにかをうったえかけてくるようだ。

    ジュンは暗闇の中でおもった。自分とおなじ年ごろだったゴロウじちゃんたちは、ずいぶん大変な時代に生きていたんだ。初めて聞いた。大変な時代だったんだ。その時、子どもたちは何を喜び 何を悲しんだか。何を考え、どう行動したのか? 子供たちは どう生きていたのか?

でもなにか、ゴロウじいちゃんたちみんな、元気で明るく生きていたのでホッとした。戦時下の子供たちは元気だった。何故なんだろう。何にもモノがないのに。テレビゲームもなかった。食べるものも満足になかった。みんな生きることに必死だったんだ。

あの戦争で多くの犠牲者が出た。その方々のおかげで今の日本がある。ぼくたちは毎日平和で安全に生きている。ジュンは、平和の有難さがみにしみた。

なぜ戦争は起きたのか? ジュンにはまだまだ分からないことが多い。戦争と平和について知らないことが多い。ジュンは思った。これから、もっともっと歴史を知り、まだまだ勉強しなければならない。

(父さんのこと――。母さんのこと――。ぼくはずいぶんひどい目にあっている。人生は不公平だ。ぼくの父さんは交通事故で亡くなってもういない。家に帰っても母さんがいない。母さんも忙しくてぼくをかまってくれない。母さん、なんであんなに環境問題に熱心なのだろう)

ぼくは不満に思っていた。ほかの子に比べて、あれがすくない、これが少ないと文句をいつもいっていた。

たしかにぼくは、すぐ不平を言う。弱音を吐く。ぼくには無理だ、出来ない、とあきらめる。ゴロウじいちゃんたちは弱音をはかない。ぼくも見習らわなきゃ! とジュンは決意した。

人間は孤独。でも生きていかなければねばならない。コドクノ鳥の生き方が分かったような気がす。ぼくもやってみよう。

ジュンは安心して、いつのまにかふかい眠りにはいった。

日本海の海鳴りだけがとどろいている……。
*   *   *   *   *
『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』(作:近澤可也)から、終戦記念日8月15日にちなんで、太平洋戦争戦時下の子どもたちの話を抜粋して投稿しました。
最後まで読んでいただいて有難うございました。
近澤可也 拝

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……12

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……12特別寄稿

<今ココに生き 旅するために!>

『あのときの夏』

近澤可也 作
あの時 昭和20年(1945年)夏

私は国民学校5年生だった
あの年の あの夏の あのときの空は 青かった

ほんとうに青かった 澄みきっていて怖いくらい……

二度とふたたび、あのような真っ青な空は

見ることができないだろう
私は金沢で生まれ 白銀町の旧い町家で育った

家のまえは電車道で チンチン電車が通っていた
重大な発表があるからと、

向かいの自転車屋さんに

となり組の人たちが集まっていた

天皇陛下の声は、雑音が入って良く聞き取れなかった

独特の抑揚ある語り口だけが耳に残った

大人たちは、キョトンとしていた

誰かが言った 負けたんだと
あのとき わたしは軍国少年で

子供ながら

お国のために 命をささげる覚悟でいた

だが しかし わたしは毎日毎夜死を恐れていた
死はそこにいた

徴兵制度があり いつか赤紙が来て

兵隊になり 戦地に送られる

突撃の命令……そのうち間違いなく 弾は身体を貫くだろう
死ぬことは怖い  死んだらどうなる?

すべてが無! この存在 この現実 この世界 この宇宙は

私が死ねばすべて消え去る
戦争は終わった

神国大日本帝国が負けたのだ

戦争に負けた

勝つことを信じていた そう叩き込まれていた

それが負けたのだ
全身の力が抜けた

空虚 むなしさ

涙が流れる 涙が止まらないんだ
全てがひっくり返った

これまで正しかったことが悪いことに

これまで悪かったことが正しいことに
食べるものが無い

腹が減ってどうにもならない。

食べたい

腹いっぱいご飯を食いたい

弁当は40日間 さつまいもだけ

持ってこない奴もいた

苦しかった毎日 でも 精一杯生きていた
何もない

でも工夫して なんでも自分の手でつくった

運動場を開墾して サツマイモ畑

山で樹を切り 薪づくり

日本海浜辺での 塩づくり
貧しいもの同志の妙な連帯感!

友だちにも 人びとにも 学校にも

村にも 町にも

野にも 山にも

大空にも

あのときは アッケラカンとした明るさがあった
あのときから72年……幾多の事件 闘争 危機 生活 時代がありました。

良いことも悪いことも ダダドド ダダドドと通り過ぎていきました。
……命有難く 〈今 ココニ〉 私は生きている……

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……11

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……11近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅸ:……8月15日終戦の日>

「最後に、8月15日終戦の日の話をしよう」。
幸い、ゴロウたちの街は焼けずにすんだ。

あれから幾日か後、昭和20年8月15日:重大な発表があるからと、町内会の人たちは通り向かいの自転車屋さんに集まった。

天皇陛下の声は、雑音が入ってゴロウには良く聞き取れなかった。独特の抑揚ある語り口だけが耳に残った。みんなキョトンとしていた。

誰かが言った。「負けたんだ!」

戦争は終わった。負けるはずがない神国大日本帝国が負けたのだ。

うそだ。そんなことはない。信じられない。だが、大人たちはいちようにおし黙って、うなだれている。ゴロウの全身の力が抜けた。頭の中が真っ白になった。何も考えることができない。戦争に負けた。勝つことを信じていた。そう叩き込まれていた。

それが、負けた――

空虚。むなしさ――
あの年の、あの夏の、あの空は青かった。ほんとうに青かった。澄みきっていて怖いぐらい…。二度とふたたび、あのような真っ青な空は見ることができないだろう…。
「涙がとめどなく流れた。とまらないんだ。泣きながら眠ると、よく朝、まぶたが開かない。涙が乾いて、まぶたを固く閉ざしている。

    ……そして、そう、あの時……家の奥、庭に面した座敷……高い熱がつづき、意識はもうろうとしていた……俺は一人蒲団にくるまっていた。

と突然、熱が引き始め、体が楽になり、軽くなり、立ち上がることができた。……空気がむしょうに甘かった。

    ……『助かったんだ、生きているんだ』……木の葉の緑がキラメイテ、透明になり、燃えあがった……空気の粒子が一粒一粒、粒だち、独立し、お互いに白色を放ち、金色を放ち、うごめきあっていた。それらが、何か、理解しがたい、でも、何か確かな意味をもって、厚く厚く俺の周囲をみたしていた。

その時、俺は感じたんだ『われわれと、あらゆるものが、実は、この地球の夢なのだ!……』と」

生きている喜びがゴロウの全身をかけめぐった。――

*   *   *   *   *
ゴロウは黙って、激しい息づかいで正面を見つめ、やがて目頭を押さえた。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……10

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……10近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅸ:……空襲と隣街の炎上>

    米国空軍の本土各都市への攻撃が激しくなった。K市では空襲での延焼を避けるため、ところどころで建物を壊して間引きをし空き地をつくっていた。昭和20年終戦の年の8月になると市街に残っている人が少なく、街がガランとして明るくなった。

毎日B29が上空を飛んでいく。警戒警報!。空襲警報!!。そのたびに防空頭巾をかぶり、地下につくった防空壕に避難する。だが不思議とゴロウの街は空襲を受けなかった。そのためゴロウたちはだんだん慣れてきて、警戒警報ぐらいでは落ち着いたものだった。

夜は灯火管制というもの敷かれ、明かりが外に漏れないようにする。電灯の笠に蛇腹のようなものを付け、光が真下のちゃぶ台だけにくるようにしていた。

8月になりある日、どうしたわけか母さんがさっぱりした顔でいった。

母さん「今日は、お汁粉を食べましょう」

ゴロウ「ええつ。ほんまにそんなものあるの?」

ゴロウは驚いた。どこに隠しておいたのか正真正銘の砂糖もあった。

母さん「もういいでしょう。こんなことつづけていてもしょうがない。今日はいいから、パットやりましょう」

何年振りかのお汁粉、うまいのなんの、言葉ではいいつくせない。

たしかにその時は、ゴロウも、(もうこれでいいや)と思った。

***********
けたたましいサイレンの音。上からのしかかるようなずしりと重い轟音(ごうおん)。B29の編隊が、夜の暗い空をおおっていた……。

『早く逃げろ!』近所の人たちがわめいていた。防空ずきんをつけ眠い目をこすって、せきたてられるように、くら闇のなかを、海に向かう道、往還(おうかん)へ。往還には、どこからとなく人が集まっており、一列になって、無言で歩いていた。誰も、一言も口をきかない……。

街道の右手、まっくらな闇のなかに、無人の電車が一台、もちろん無灯火で捨てられていた。電車のなかに入り、シートに座りこんだ。

その時! 稲妻が走ったように、突然、空が明るくなった。ふりかえると、いまきた街の方向に……チラチラ、チラチラ、赤い小さなつぶが空から下へ散っていく。しばらくして……赤い、真っ赤な火炎と、白い煙の渦が、ゆっくりととぐろをまくように空に昇っていった
……

全身の力がぬけ、ぬけがらのようになって、ただただ一本のみちを歩いた……気がつくと、海に面した砂丘のいただきにすわっていた。精も根もつきはてて……月も出ていない、星もない。くらい、暗い、真闇(まやみ)のなかで……海のうねり、うなり声だけがきこえた……。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……9

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……9近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅷ:……勤労奉仕、銃後の守り>

「次はおじいちゃんが経験した空襲と、隣街の炎上の話をしよう」
ゴロウ「あの頃は子供でも一人前に扱われた。勤労奉仕、銃後の守り、を引き受けていた」

ジュン「勤労奉仕、銃後の守りって何なの?」

ゴロウ「銃後というのは、銃つまり鉄砲の後ろという意味。戦争で戦っている兵隊さんの国内をしっかり守りましょうとのこと。どこの家でもお父さんやお兄さんは戦争に取られて、年より、女子供だけが残った。男手は足りなかったので、小学生といえども家の大切な働き手であった。家の手伝いは何でもやった。手伝いというより仕事をやった」
ジュン「どんな仕事をしたの」

ゴロウ「うちは石屋だった。父さんは兵隊で戦地にいたからが、お祖父さんがひとりで石屋の仕事をしていた。お祖父さんとお祖母さんに弟たちは、市内のはずれの農家に疎開をしていた。お祖父さんは足がよわっていたので、石屋の仕事があるときには、わしが疎開先まで朝晩、リヤカーで送り迎えをしていた」

ジュン「リヤカーって、なあに?」

ゴロウ「そうか、リヤカーを知らなかったのか。リヤカーとは二輪があって、それを自転車につなげて荷物などを運ぶ車なんだよ。そこにお祖父さんを乗せて仕事先まで運ぶのさ。夕方仕事が終われば迎えにいき、疎開先の農家に送り届けていた。今思うと、ずいぶんよく働いたものだと思うが、当時はごくあたりまえだと思い、一生懸命やっていた」

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……8

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……8  

近澤可也 作

<ゴロウの話Ⅶ:……天皇のおなら事件2>

K市立H町国民学校・職員室

ガランとした職員室。壁際で正座しているゴロウ。その前に校長と担任教師が立って、ゴロウを叱っている。

注:正座(せいざ): 罰の為教員室の板張り床の上で正座させられる。足がしびれるけど姿勢を崩すことは許されない。

ゴロウのナレーション「職員室で正座させられた。校長もきて謝れと言う。ボク、それでも謝らなかった」

教頭「だれがいい始めたのか、正直にいいなさい」

ゴロウ「………………」

校長「強情な奴だ。謝るどころか、口もきかん」

ゴロウ (天皇かて、クソもすれば、ヘもする。ボクらとどこも変わっとらん。ナンも、悪いことしとらんさかい、謝ることないがやて)

ゴロウは、勿論、こんなことは思ったとしても口にして言えない。ただ歯をくいしばり、黙りつづけた。

このとき、教頭が校長に耳打ちする。

教頭「校長これはまずいですよ。これが外部にもれたらおおごとですよ。もし軍部にとどいたら、わたしらの監督責任ということになり懲戒処分になるかもしれません。これはなかったことにしときましょう。」
ゴロウのナレーション「これにて一件落着(いっけんらくちゃく)! 無罪放免(むざいほうめん)にいたす」

*   *   *   *   *

ゴロウの(回想)学校の帰り道 (夕)

ゴロウの母さんが呼ばれて、ゴロウをもらい下げに来てくれた。夕日に染まった街をゴロウと母さんが、並んで歩いてくる。

ゴロウのナレーション「母さんも校長や教頭から注意をうけしぼられたはずだが、僕を叱らなかった。僕には何も言わなかった。一緒に出てきた副級長の山田くんは、迎えに来た山田くんのお母さんからこっぴどく叱られていた。『近澤さんは泣きもしないし、謝りもしなくて立派です。それにひきかえおまえはなんですか。なさけない‼︎』‥‥先生には叱られるし、お母さんからも叱られるし、山田くんの散々な一日、見ていて気の毒になった」

*   *   *   *   *

ジュン「おじいちゃん、最後まであやまらなかったんだね。最後まで友達をかばったんったんだね。えらい!」

ゴロウ「偉いというほどのものじゃない。ただ歯を食いしばって、にぎりこぶしを固く握ってがまんをしていた。理由もなく、何かに耐えていたんだと思う。いまからかんがえると、ただ、何かに反抗していたのかもしれない。
「……母さんはかえり道、アメをたもとからだしそっとくれた。夕日の中を二人であめを舐めながら歩いた。甘かった。母さんは、いつでも優しかった……」
いつしか、ゴロウの眼に涙がうかんだ。ジュンは、こわいと思っていたゴロウじいちゃんが自分と同じくお母さんに甘えている姿を想像して、微笑ましく思いすっかりゴロウじいちゃんを好きになってしまった。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……7

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……7近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅵ:……天皇のおなら事件1>

「ここでおじいちゃんのとっておきの話をしましょう。【天皇のおなら事件】という今なら笑い話なのだが、当時では考えられない大変な事件が起こったんだよ」

ゴロウは、遠い昔を思い浮かべ、その世界にはいりこんでいった。

*   *   *   *   *

K市立H町国民学校の教室

授業の前で、生徒たちはてんでバラバラに騒いでいる。

後ろの方で悪がきニョンペが、校長の口調を真似ておごそかな口調で話だす。

ニョンペ「《朕おもわず屁をこいて、なんじ臣民くさかろ 御名御璽 !》」
恭一「ほんなこと、大きな声で言うなや。人に聞かれたらダイバラになるぞ」

みんなが静かになり、ふりかえると、ニョンペがにやりと笑う。

ニョンペ「ほやかて、天皇も、クソをするしヘもこく」

生徒1「ほんまかい、天皇がクソするて?」

生徒2「おマン、見たことあるがかいな。見たことないもんが、見たようなこと言うな」

生徒1「だいたい天皇の顔見たら眼がたつぶれるちゅうて、黙とうさせられとるがに」

《朕おもわず屁をこいて、なんじ臣民くさかろう……プウー!》

恭一が真似て言った。みんなが大笑いする。続いてカズが踊りながら囃し立て、《朕おもわず屁をこいて……》と大仰なしぐさで尻をつきだす。

囃子言葉は伝染する。そしてクラス全員が合唱しだした。

担任の教師がいつのまにか教室の入り口に立っていて、一部始終を見ている……。だれも先生が入ってきたことに気がつかなかった。

ゴロウのナレーション 「先生はびっくりした。言ってはならないこと、あってはならないことが目のまえにおこっている」
先生「誰だ、こんなことを教えたやつは? 手を上げろ! 前に出ろ!」

教室の全員が静まり返る。言い出しっぺニョンペをはじめ、誰も前には出てこない。

先生「級長天河ゴロウ、副級長山田恭一! 代表責任者として職員室にこい!」

*   *   *   *   *

ジュンがゴロウの話をさえぎって……

ジュン「かっこういい、おじいちゃん、級長をやっていたんだね。級長ってクラスの代表なんでしょう。きっと、通知表の成績も良かったんだね」

ゴロウ「勉強なんか全然しなかった。だいいち学校では満足な授業はなかった」

ジュン「代表責任者とは、なんなの一体?」

ゴロウ「代表責任とは、クラス全員が悪いことをした時に、級長、組長が代表して罰を受けるこという。また、この場合のように、犯人が名乗り上げななかった時なども、代表責任がとらされた。そのほかに、連体責任というのがある。連体責任とは、悪いのが一人でもいるとクラス全員が殴られた」

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……6

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……6近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅴ:……海での塩つくり>

ゴロウ:「次は塩づくりの話だ!……行軍といって隊列を組み、市内から日本海まで歩いていって、砂浜の海岸で塩をつくった」

ジュン:「えっ! 塩をつくるの? ほんとに、どうやってつくの」

ゴロウ:「塩づくり、これは大変なんだ」
――海での塩つくりとは!? 海で海水を汲み それを砂浜に撒く。 乾いた砂をかき集め木箱に積み重ね、上から塩水を注ぐ。下に濃いを塩水が滴り落ちるのを集め、大釜で炊く。茹であがってくると表面に塩の結晶ができる。それを柄杓でかき集める。塩の結晶は4角形であることが、そのときわかった。

海に入り塩水をバケツでくんでくるのだが、これまた大変。波打ち際から少し深みに入り、海水をくむ。、海から上がってくるとき、足もとの砂が崩れ、足が波にさらわれる。第一腹が減ってふらふらする。足は脚気気味ときている。ちょっとの波でよろよろする。何度も海に入り、ただただ海水を砂浜に撒くだけ――。
「でもみんな暗くはなかった。そんな暇はなかったんだ。……あの明るさ❣。あれはなんだったんだろう?

きびしい毎日だったが、アッケラカントして明るかった。必死にやっていたんだ。友達とは仲が良かった。毎日遊び歩いていた。もちろん家の手伝い、開墾、マキつくり、勤労奉仕、仕事もよくやったが……。

でもへこたれなかった。毎日楽しかった。毎日が輝いていた❣ともいえる」

ゴロウじいちゃんの声がはずみをまし、微笑を浮かべ、頬には紅みがさしてきた。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……5

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……5近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅳ:……運動場をイモ畑>

ゴロウは話し途中で……、遠く虚空を見やり呆然としている。

ジュン:「どうしたの? おじいちゃん。だいじょうぶ?」

ジュンは、心配になりゴロウのからだをゆさぶった。

「いやあ、なんでもない。ちょっとその……のどが渇いてな」

ごろうはたちあがり、台所から水を汲んできてのどをうるおす。ジュンはナップザックからノートを取り出し、ゴロウの話を書きとめる用意をした。

ゴロウは話を始めた。

「あの頃はほんとに何もなかった。何もない。しかたがないから、でも工夫してなんでも、自分の手でつくった」
――開墾(かいこん)と称して、あまった土地を見つけ新しい畑をつくった。

さいごには運動場をほり起こし、イモ畑にしたもんだ。これはしんどい作業だった。運動場にはガラといって石炭のくずのようなものが敷き詰めてある。これが固くて手に負えない。鍬が地面に刺さらない。そこで鍬より先がとがっていて重たいトグワというものをつかった。腹がペコペコにへってフラフラしている子供がやるのだから、いっこうにはかどらない。そういえば、学校の階段をあがるのが……一段ごとつらかった。たぶん栄養失調で脚気にかかっていたのかもしれん。
夏休みには、イモ畑に肥料をあげに順番で学校へ行った。肥料はなんだと思う? 人糞だよ。便所の小便やクソを水で薄めて、肥桶にいれて、二人で担いで畑に撒くのだ。ホントの話、臭くて臭くてお笑いものだ――。