『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……12

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……12特別寄稿

<今ココに生き 旅するために!>

『あのときの夏』

近澤可也 作
あの時 昭和20年(1945年)夏

私は国民学校5年生だった
あの年の あの夏の あのときの空は 青かった

ほんとうに青かった 澄みきっていて怖いくらい……

二度とふたたび、あのような真っ青な空は

見ることができないだろう
私は金沢で生まれ 白銀町の旧い町家で育った

家のまえは電車道で チンチン電車が通っていた
重大な発表があるからと、

向かいの自転車屋さんに

となり組の人たちが集まっていた

天皇陛下の声は、雑音が入って良く聞き取れなかった

独特の抑揚ある語り口だけが耳に残った

大人たちは、キョトンとしていた

誰かが言った 負けたんだと
あのとき わたしは軍国少年で

子供ながら

お国のために 命をささげる覚悟でいた

だが しかし わたしは毎日毎夜死を恐れていた
死はそこにいた

徴兵制度があり いつか赤紙が来て

兵隊になり 戦地に送られる

突撃の命令……そのうち間違いなく 弾は身体を貫くだろう
死ぬことは怖い  死んだらどうなる?

すべてが無! この存在 この現実 この世界 この宇宙は

私が死ねばすべて消え去る
戦争は終わった

神国大日本帝国が負けたのだ

戦争に負けた

勝つことを信じていた そう叩き込まれていた

それが負けたのだ
全身の力が抜けた

空虚 むなしさ

涙が流れる 涙が止まらないんだ
全てがひっくり返った

これまで正しかったことが悪いことに

これまで悪かったことが正しいことに
食べるものが無い

腹が減ってどうにもならない。

食べたい

腹いっぱいご飯を食いたい

弁当は40日間 さつまいもだけ

持ってこない奴もいた

苦しかった毎日 でも 精一杯生きていた
何もない

でも工夫して なんでも自分の手でつくった

運動場を開墾して サツマイモ畑

山で樹を切り 薪づくり

日本海浜辺での 塩づくり
貧しいもの同志の妙な連帯感!

友だちにも 人びとにも 学校にも

村にも 町にも

野にも 山にも

大空にも

あのときは アッケラカンとした明るさがあった
あのときから72年……幾多の事件 闘争 危機 生活 時代がありました。

良いことも悪いことも ダダドド ダダドドと通り過ぎていきました。
……命有難く 〈今 ココニ〉 私は生きている……

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です