『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……9近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅷ:……勤労奉仕、銃後の守り>
「次はおじいちゃんが経験した空襲と、隣街の炎上の話をしよう」
ゴロウ「あの頃は子供でも一人前に扱われた。勤労奉仕、銃後の守り、を引き受けていた」
ジュン「勤労奉仕、銃後の守りって何なの?」
ゴロウ「銃後というのは、銃つまり鉄砲の後ろという意味。戦争で戦っている兵隊さんの国内をしっかり守りましょうとのこと。どこの家でもお父さんやお兄さんは戦争に取られて、年より、女子供だけが残った。男手は足りなかったので、小学生といえども家の大切な働き手であった。家の手伝いは何でもやった。手伝いというより仕事をやった」
ジュン「どんな仕事をしたの」
ゴロウ「うちは石屋だった。父さんは兵隊で戦地にいたからが、お祖父さんがひとりで石屋の仕事をしていた。お祖父さんとお祖母さんに弟たちは、市内のはずれの農家に疎開をしていた。お祖父さんは足がよわっていたので、石屋の仕事があるときには、わしが疎開先まで朝晩、リヤカーで送り迎えをしていた」
ジュン「リヤカーって、なあに?」
ゴロウ「そうか、リヤカーを知らなかったのか。リヤカーとは二輪があって、それを自転車につなげて荷物などを運ぶ車なんだよ。そこにお祖父さんを乗せて仕事先まで運ぶのさ。夕方仕事が終われば迎えにいき、疎開先の農家に送り届けていた。今思うと、ずいぶんよく働いたものだと思うが、当時はごくあたりまえだと思い、一生懸命やっていた」