『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……4

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……4近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅲ:……戦時下:教育勅語>

ゴロウ:「その頃は教育勅語というものがあって、毎月1日、講堂に生徒が集められ、舞台の正面にあるふだんは見ることのできないない天皇の御真影(ごしんえい)の垂れ幕をあげる。生徒は黙とうをしたまま教育勅語を最後まで聞くんだ」。

ジュン:「天皇の【ごしんえい】って何なの?」

ゴロウ:「【ごしんえい】とは、天皇陛下の写真のことだよ。直接見ると眼がつぶれると言われていて、普段は垂れ幕でおおわれて、式典の時だけ恭しく幕を上げる。今から考えると馬鹿馬鹿しい話だがね⁉️……

そうだね、ここで当時の状況を説明しなければ分からないと思うので、少し詳しく話してあげよう。……」
――教育勅語は明治二十三年、西暦でいうと千八百九十年に発布された『明治天皇のお言葉で、国民道徳の絶対基準とされました。翌年には「小学校祝日大祭日儀式規定」が制定され、学校では「ご真影」と「教育勅語」がもっとも神聖なものとなったわけです。

私の学校では毎月の初めの日、学校の全員が講堂に集められて、校長の号令で宮城の方に向かって最敬礼 黙とう なおれ。校長先生が巻物になっている教育勅語を恭しく読む間は、全員頭を下げた姿勢で、三分間ほど絶対に動いてはいけないことになっていた。
『朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。……』

当時の大人さえ意味が分からなかったという難解で厳粛な文章なんで、いったい生徒たちは何人が読解できたことやら?

確かに軍国少年の洗脳に使われたのだが、ゴロウは今でもここのところはそらんじている。

『……爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、……』

ゴロウはここのところは意味もわかり、よくおぼえている。もっとも『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ』、は今でも大切なことだし、決して悪いことを言っているわけではないと思う。それで、ひょっとすると、ゴロウはあれ以来、まじめに人生を送ってきたんだと苦笑いする。
『……一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ……』の部分は、戦争が起こったら兵隊に行って戦い、皇国の繁栄に尽くすべきだと教え込んでいるのではないか。
防人(さきもり)の歌も同じようなことをうたっている。

『きょうよりは  かへりみなくて おおきみの しこのみたてと  いでたつわれは』: 今日からは、後のこと、父母・兄弟・子供・家族のことを案じたりすることなく、大君のため命を捨てる覚悟で戦場に向かいます。

これは良くない。兵隊は、いざという時には死んでも国の為に尽くせといっている。 
たしかにゴロウはあのときは、男子は御国の為なら死んで当たり前だと思っていた。覚悟はきめていた。だが、本当のことをいうと、<死ぬとどうなるんだろう>と考えると、ゾッとして心底から怖かった。死にたくはなかった。なんとかして生き延びようとしていた――。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……3

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……3近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅱ……先生が生徒を殴る?>

「平和のために戦争をするというのは、なんかおかしい気がする」

「アジアの植民地を解放するという大義名分を掲げて、アメリカをはじめ連合国を相手に戦争をはじめた。今から考えるとずいぶん無茶なことをしたもんだと思うが、あのときは勝てるつもりでいた。いや、そのように洗脳されていたのかも知れんが…… みんな本気で考えていたんだよ」
「反対する人たちはいなかったの」

「反対する人たちもいたにはいたが、どうすることもできなかった。特高(とくこう)といって、こわいこわい特別な警察機構があって、反対の人たちを有無を言わさずしょっぴいて,拷問(ごうもん)をくわえていた」

「こわい!。ひどい時代があったもんだ。おじいちゃんたちも、ごうもんにあった?」

「さすがに拷問はなかったよ。でも教師は殴るのはあたり前。勿論先生によってはずいぶん違った。やさしい先生もいるにはいたが」

「先生が生徒を殴る? そんなこと、今だったら大問題だ。まちがいなくくびになる」

「ことに教練(きょうれん)の教官は殴るのはあたりまえ。よたよたすると竹刀(しない)でしごく。あの頃は栄養失調で皆ガリガリ。整列といわれてもよろつくやつがいる。にらまれてなぐられるのは、だいたいいつもきまっていた」

「へえ、そんな時代だったんだ……」
「教師が言うんだ。『しっかり立て。歯をくいしばれ』で、バッチとくる。殴るののうまい先生は、ピッシと音がいいが、意外に痛くはない。下手にたたかれると、これがかえって痛くてよくきく。耳をうたれたりしたら鼓膜が破れるしな」

「こまくが破れたら聞こえなくなっちゃう」

「左右の頬をなぐる往復ビンタというものもあるし、二人を立たせ、左右から双方の頭を鉢合わせさせるガチンコ。これは強烈に頭の芯まで痛く、一番きいた」

ジュンは思わず身をすくめる。

「ブルル……からだがぞくぞくしちゃう」

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……2

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……2🎅近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅰ……戦時下:国民学校での日々>

夕食のあとかたづけを終えてから、ジュンはゴロウに話をせがんだ。ゴロウはジュンを前にして、目をほそめ、なにかかくしていたことを思い出すように話はじめた。
「あれは、いつのことだったろう……子供の頃、そう、ジュンと同じ小学校の5年生のときだ。あの頃は国民学校といっていたんだが……」

「変なの。国民学校というんだ。初めて聞いた」

「ああそうだ、ジュンと同じ年だったんだね」

「それで…」ジュンはゴロウの顔をじっとみつめ、話の先をまっている。(話をきいてくれる人がここに、今、いるということはこんなに気持ちがはずむものとは)…ゴロウは遠く過ぎ去った日々を思い浮かべ、話をはじめた。
「あのときは、昭和20年……西暦でいうと1945年の夏だった。日本がアメリカと戦争していて、負けた年なんだ」

ジュンは得意げに答えた。

「ああ。それなら知っているよ。第二次大戦。太平洋戦争というんでしょう。歴史の時間で教わりました」

ゴロウは、しみじみ語りだした。

「おじいちゃんたちは、大東亜戦争といっていたがね。『東洋平和のためならば、何で命が惜しかろう……』と一生懸命歌っていた」

「何で命が惜しかろう? こわい! 死ぬ気でいたのね」

「そうだよ。おじいちゃんたち、そうだ、ジュン君と同じ年だったが、本気で死ぬ気でいた。東洋平和のためだと本気で信じていた。鬼畜米英(きちくべいえい)といって……そういう風に教え込まれていたんだね。こわい話だ」

「キチクベイエイ? おじいちゃんの話、むずかしい言葉が多すぎて、ぼくにはわからない。かんたんにいってよ」
ゴロウは黙って、コップの水を指につけてテーブルに字を書いた。

「鬼と……そうだ、家畜の畜だ。米英は、アメリカとイギリスだよね。なんだかこわい感じ」

「はじめは米国英国の人たち外人を、毛唐(けとう)といっていたのだが…… 鬼畜とは読んで字のごとく、鬼、畜生のたぐいだということ」

「鬼はわかるよ。だが畜生とは?」

「ごめんごめん! またまたむずかしい言葉だね。畜生とは仏教の言葉で、動物のことをさすのだよ。白人は鬼やけだものなみだということだ。だが心の底では、きっと怖ろしかったんだろうな」

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……1

ジュンは夏休みのあいだ、K市のはずれの漁港の岬に一人で住んでいるゴロウじいちゃんと二人で暮らすことになる。ジュンは母さんと離れてくらすのは初めてのことであり、変わり者で頑固(がんこ)といわれているゴロウじいちゃんと2人だけで過ごすのは、何かこわい気もする……。
『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』(作:近澤可也)から、終戦記念日8月15日にちなんで、太平洋戦争戦時下の子どもたちの話を抜粋してシリーズ投稿します。
『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……1

☺️近澤可也 作
<……ゴロウじいちゃんの小屋……>

K市の駅前から、郊外にある漁港にむかって単線のレールがのびている。日中は乗る人もすくなく1時間に1本の割合で、2両連結(れんけつ)の電車が行き来している。終点駅は昔ながらの小さな漁港だ。漁港をかこむように岬がのびていて、その反対側の先にはゆるやかに大きな砂丘が北東につづいている。砂丘は戦後しばらくのあいだは米軍の試射場(ししゃじょう)になっていたのだが、今はもとにもどって静かさをとりもどしている。
岬のつけ根にあたるところに少しばかりの平たい台地があり、小さな古ぼけた小屋がたっている。小屋には一人の老人ゴロウが住んでいる。あたりは松林だが、たえず海から吹きつけてくる風のため、幹も枝も一様にかたむきはいつくばっている。
小屋の下手は砂浜がながくつづき、夏には人々でにぎわうこともあるのだが、それもほんのひとときで、シーズンが終わるとおとずれる人もなく静けさをとりもどす。最近は、この小屋をおとずれる人はほとんどいない。ときたま漁港のある町から、郵便局の配達人が自転車をおしてのぼってくるくらいのもの。それも、1年にかぞえるくらいにへった。
夕日をあびてジュンがナップザックを背に風呂敷をさげ、小屋へとのぼる道を歩いていく。
ジュンは母さんと離れてくらすのは初めてのことでもあり、ゴロウじいちゃと2人だけで過ごすのは、何か怖い気もする。母さんはジュンを車で送るといったが、ゴロウじいちゃんはジュンが一人で電車で来るようにいった。