『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……10近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅸ:……空襲と隣街の炎上>
米国空軍の本土各都市への攻撃が激しくなった。K市では空襲での延焼を避けるため、ところどころで建物を壊して間引きをし空き地をつくっていた。昭和20年終戦の年の8月になると市街に残っている人が少なく、街がガランとして明るくなった。
毎日B29が上空を飛んでいく。警戒警報!。空襲警報!!。そのたびに防空頭巾をかぶり、地下につくった防空壕に避難する。だが不思議とゴロウの街は空襲を受けなかった。そのためゴロウたちはだんだん慣れてきて、警戒警報ぐらいでは落ち着いたものだった。
夜は灯火管制というもの敷かれ、明かりが外に漏れないようにする。電灯の笠に蛇腹のようなものを付け、光が真下のちゃぶ台だけにくるようにしていた。
8月になりある日、どうしたわけか母さんがさっぱりした顔でいった。
母さん「今日は、お汁粉を食べましょう」
ゴロウ「ええつ。ほんまにそんなものあるの?」
ゴロウは驚いた。どこに隠しておいたのか正真正銘の砂糖もあった。
母さん「もういいでしょう。こんなことつづけていてもしょうがない。今日はいいから、パットやりましょう」
何年振りかのお汁粉、うまいのなんの、言葉ではいいつくせない。
たしかにその時は、ゴロウも、(もうこれでいいや)と思った。
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けたたましいサイレンの音。上からのしかかるようなずしりと重い轟音(ごうおん)。B29の編隊が、夜の暗い空をおおっていた……。
『早く逃げろ!』近所の人たちがわめいていた。防空ずきんをつけ眠い目をこすって、せきたてられるように、くら闇のなかを、海に向かう道、往還(おうかん)へ。往還には、どこからとなく人が集まっており、一列になって、無言で歩いていた。誰も、一言も口をきかない……。
街道の右手、まっくらな闇のなかに、無人の電車が一台、もちろん無灯火で捨てられていた。電車のなかに入り、シートに座りこんだ。
その時! 稲妻が走ったように、突然、空が明るくなった。ふりかえると、いまきた街の方向に……チラチラ、チラチラ、赤い小さなつぶが空から下へ散っていく。しばらくして……赤い、真っ赤な火炎と、白い煙の渦が、ゆっくりととぐろをまくように空に昇っていった
……
全身の力がぬけ、ぬけがらのようになって、ただただ一本のみちを歩いた……気がつくと、海に面した砂丘のいただきにすわっていた。精も根もつきはてて……月も出ていない、星もない。くらい、暗い、真闇(まやみ)のなかで……海のうねり、うなり声だけがきこえた……。