<……かかるがゆえに、生(しょう)きたらばこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがうことなかれ……>

道元の『正法眼蔵』付巻五章の「生死」の説法の1節です。
道元の言葉は、宗教的な説法というよりは、文学的な詩の趣きがあります。

この「生死」の言葉は、道元のはげしい気迫に満ちた「現成公案」の章とは異なり、おだやかで、やさしさで語りかけてきます。
声に出して何度も詠んでいると、身体にしみわたり心が落ち着いてきます。

<生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなわち不生という。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなわち不滅という。生というときには、生よりほかにものなく、滅というとき、滅よりほかにものなし。かるがゆゑに、生(しょう)きたらばこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがうことなかれ。>

……『正法眼蔵』付巻五章「生死」:道元

……生のときには生しかない。
生のときは……、全力で生きようという!という気が私の身体に満ちてきます。

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