『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……6

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……6近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅴ:……海での塩つくり>

ゴロウ:「次は塩づくりの話だ!……行軍といって隊列を組み、市内から日本海まで歩いていって、砂浜の海岸で塩をつくった」

ジュン:「えっ! 塩をつくるの? ほんとに、どうやってつくの」

ゴロウ:「塩づくり、これは大変なんだ」
――海での塩つくりとは!? 海で海水を汲み それを砂浜に撒く。 乾いた砂をかき集め木箱に積み重ね、上から塩水を注ぐ。下に濃いを塩水が滴り落ちるのを集め、大釜で炊く。茹であがってくると表面に塩の結晶ができる。それを柄杓でかき集める。塩の結晶は4角形であることが、そのときわかった。

海に入り塩水をバケツでくんでくるのだが、これまた大変。波打ち際から少し深みに入り、海水をくむ。、海から上がってくるとき、足もとの砂が崩れ、足が波にさらわれる。第一腹が減ってふらふらする。足は脚気気味ときている。ちょっとの波でよろよろする。何度も海に入り、ただただ海水を砂浜に撒くだけ――。
「でもみんな暗くはなかった。そんな暇はなかったんだ。……あの明るさ❣。あれはなんだったんだろう?

きびしい毎日だったが、アッケラカントして明るかった。必死にやっていたんだ。友達とは仲が良かった。毎日遊び歩いていた。もちろん家の手伝い、開墾、マキつくり、勤労奉仕、仕事もよくやったが……。

でもへこたれなかった。毎日楽しかった。毎日が輝いていた❣ともいえる」

ゴロウじいちゃんの声がはずみをまし、微笑を浮かべ、頬には紅みがさしてきた。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……5

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……5近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅳ:……運動場をイモ畑>

ゴロウは話し途中で……、遠く虚空を見やり呆然としている。

ジュン:「どうしたの? おじいちゃん。だいじょうぶ?」

ジュンは、心配になりゴロウのからだをゆさぶった。

「いやあ、なんでもない。ちょっとその……のどが渇いてな」

ごろうはたちあがり、台所から水を汲んできてのどをうるおす。ジュンはナップザックからノートを取り出し、ゴロウの話を書きとめる用意をした。

ゴロウは話を始めた。

「あの頃はほんとに何もなかった。何もない。しかたがないから、でも工夫してなんでも、自分の手でつくった」
――開墾(かいこん)と称して、あまった土地を見つけ新しい畑をつくった。

さいごには運動場をほり起こし、イモ畑にしたもんだ。これはしんどい作業だった。運動場にはガラといって石炭のくずのようなものが敷き詰めてある。これが固くて手に負えない。鍬が地面に刺さらない。そこで鍬より先がとがっていて重たいトグワというものをつかった。腹がペコペコにへってフラフラしている子供がやるのだから、いっこうにはかどらない。そういえば、学校の階段をあがるのが……一段ごとつらかった。たぶん栄養失調で脚気にかかっていたのかもしれん。
夏休みには、イモ畑に肥料をあげに順番で学校へ行った。肥料はなんだと思う? 人糞だよ。便所の小便やクソを水で薄めて、肥桶にいれて、二人で担いで畑に撒くのだ。ホントの話、臭くて臭くてお笑いものだ――。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……4

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……4近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅲ:……戦時下:教育勅語>

ゴロウ:「その頃は教育勅語というものがあって、毎月1日、講堂に生徒が集められ、舞台の正面にあるふだんは見ることのできないない天皇の御真影(ごしんえい)の垂れ幕をあげる。生徒は黙とうをしたまま教育勅語を最後まで聞くんだ」。

ジュン:「天皇の【ごしんえい】って何なの?」

ゴロウ:「【ごしんえい】とは、天皇陛下の写真のことだよ。直接見ると眼がつぶれると言われていて、普段は垂れ幕でおおわれて、式典の時だけ恭しく幕を上げる。今から考えると馬鹿馬鹿しい話だがね⁉️……

そうだね、ここで当時の状況を説明しなければ分からないと思うので、少し詳しく話してあげよう。……」
――教育勅語は明治二十三年、西暦でいうと千八百九十年に発布された『明治天皇のお言葉で、国民道徳の絶対基準とされました。翌年には「小学校祝日大祭日儀式規定」が制定され、学校では「ご真影」と「教育勅語」がもっとも神聖なものとなったわけです。

私の学校では毎月の初めの日、学校の全員が講堂に集められて、校長の号令で宮城の方に向かって最敬礼 黙とう なおれ。校長先生が巻物になっている教育勅語を恭しく読む間は、全員頭を下げた姿勢で、三分間ほど絶対に動いてはいけないことになっていた。
『朕惟(ちんおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。……』

当時の大人さえ意味が分からなかったという難解で厳粛な文章なんで、いったい生徒たちは何人が読解できたことやら?

確かに軍国少年の洗脳に使われたのだが、ゴロウは今でもここのところはそらんじている。

『……爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、……』

ゴロウはここのところは意味もわかり、よくおぼえている。もっとも『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ』、は今でも大切なことだし、決して悪いことを言っているわけではないと思う。それで、ひょっとすると、ゴロウはあれ以来、まじめに人生を送ってきたんだと苦笑いする。
『……一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ……』の部分は、戦争が起こったら兵隊に行って戦い、皇国の繁栄に尽くすべきだと教え込んでいるのではないか。
防人(さきもり)の歌も同じようなことをうたっている。

『きょうよりは  かへりみなくて おおきみの しこのみたてと  いでたつわれは』: 今日からは、後のこと、父母・兄弟・子供・家族のことを案じたりすることなく、大君のため命を捨てる覚悟で戦場に向かいます。

これは良くない。兵隊は、いざという時には死んでも国の為に尽くせといっている。 
たしかにゴロウはあのときは、男子は御国の為なら死んで当たり前だと思っていた。覚悟はきめていた。だが、本当のことをいうと、<死ぬとどうなるんだろう>と考えると、ゾッとして心底から怖かった。死にたくはなかった。なんとかして生き延びようとしていた――。

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……3

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……3近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅱ……先生が生徒を殴る?>

「平和のために戦争をするというのは、なんかおかしい気がする」

「アジアの植民地を解放するという大義名分を掲げて、アメリカをはじめ連合国を相手に戦争をはじめた。今から考えるとずいぶん無茶なことをしたもんだと思うが、あのときは勝てるつもりでいた。いや、そのように洗脳されていたのかも知れんが…… みんな本気で考えていたんだよ」
「反対する人たちはいなかったの」

「反対する人たちもいたにはいたが、どうすることもできなかった。特高(とくこう)といって、こわいこわい特別な警察機構があって、反対の人たちを有無を言わさずしょっぴいて,拷問(ごうもん)をくわえていた」

「こわい!。ひどい時代があったもんだ。おじいちゃんたちも、ごうもんにあった?」

「さすがに拷問はなかったよ。でも教師は殴るのはあたり前。勿論先生によってはずいぶん違った。やさしい先生もいるにはいたが」

「先生が生徒を殴る? そんなこと、今だったら大問題だ。まちがいなくくびになる」

「ことに教練(きょうれん)の教官は殴るのはあたりまえ。よたよたすると竹刀(しない)でしごく。あの頃は栄養失調で皆ガリガリ。整列といわれてもよろつくやつがいる。にらまれてなぐられるのは、だいたいいつもきまっていた」

「へえ、そんな時代だったんだ……」
「教師が言うんだ。『しっかり立て。歯をくいしばれ』で、バッチとくる。殴るののうまい先生は、ピッシと音がいいが、意外に痛くはない。下手にたたかれると、これがかえって痛くてよくきく。耳をうたれたりしたら鼓膜が破れるしな」

「こまくが破れたら聞こえなくなっちゃう」

「左右の頬をなぐる往復ビンタというものもあるし、二人を立たせ、左右から双方の頭を鉢合わせさせるガチンコ。これは強烈に頭の芯まで痛く、一番きいた」

ジュンは思わず身をすくめる。

「ブルル……からだがぞくぞくしちゃう」

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……2

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……2🎅近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅰ……戦時下:国民学校での日々>

夕食のあとかたづけを終えてから、ジュンはゴロウに話をせがんだ。ゴロウはジュンを前にして、目をほそめ、なにかかくしていたことを思い出すように話はじめた。
「あれは、いつのことだったろう……子供の頃、そう、ジュンと同じ小学校の5年生のときだ。あの頃は国民学校といっていたんだが……」

「変なの。国民学校というんだ。初めて聞いた」

「ああそうだ、ジュンと同じ年だったんだね」

「それで…」ジュンはゴロウの顔をじっとみつめ、話の先をまっている。(話をきいてくれる人がここに、今、いるということはこんなに気持ちがはずむものとは)…ゴロウは遠く過ぎ去った日々を思い浮かべ、話をはじめた。
「あのときは、昭和20年……西暦でいうと1945年の夏だった。日本がアメリカと戦争していて、負けた年なんだ」

ジュンは得意げに答えた。

「ああ。それなら知っているよ。第二次大戦。太平洋戦争というんでしょう。歴史の時間で教わりました」

ゴロウは、しみじみ語りだした。

「おじいちゃんたちは、大東亜戦争といっていたがね。『東洋平和のためならば、何で命が惜しかろう……』と一生懸命歌っていた」

「何で命が惜しかろう? こわい! 死ぬ気でいたのね」

「そうだよ。おじいちゃんたち、そうだ、ジュン君と同じ年だったが、本気で死ぬ気でいた。東洋平和のためだと本気で信じていた。鬼畜米英(きちくべいえい)といって……そういう風に教え込まれていたんだね。こわい話だ」

「キチクベイエイ? おじいちゃんの話、むずかしい言葉が多すぎて、ぼくにはわからない。かんたんにいってよ」
ゴロウは黙って、コップの水を指につけてテーブルに字を書いた。

「鬼と……そうだ、家畜の畜だ。米英は、アメリカとイギリスだよね。なんだかこわい感じ」

「はじめは米国英国の人たち外人を、毛唐(けとう)といっていたのだが…… 鬼畜とは読んで字のごとく、鬼、畜生のたぐいだということ」

「鬼はわかるよ。だが畜生とは?」

「ごめんごめん! またまたむずかしい言葉だね。畜生とは仏教の言葉で、動物のことをさすのだよ。白人は鬼やけだものなみだということだ。だが心の底では、きっと怖ろしかったんだろうな」

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……1

ジュンは夏休みのあいだ、K市のはずれの漁港の岬に一人で住んでいるゴロウじいちゃんと二人で暮らすことになる。ジュンは母さんと離れてくらすのは初めてのことであり、変わり者で頑固(がんこ)といわれているゴロウじいちゃんと2人だけで過ごすのは、何かこわい気もする……。
『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』(作:近澤可也)から、終戦記念日8月15日にちなんで、太平洋戦争戦時下の子どもたちの話を抜粋してシリーズ投稿します。
『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……1

☺️近澤可也 作
<……ゴロウじいちゃんの小屋……>

K市の駅前から、郊外にある漁港にむかって単線のレールがのびている。日中は乗る人もすくなく1時間に1本の割合で、2両連結(れんけつ)の電車が行き来している。終点駅は昔ながらの小さな漁港だ。漁港をかこむように岬がのびていて、その反対側の先にはゆるやかに大きな砂丘が北東につづいている。砂丘は戦後しばらくのあいだは米軍の試射場(ししゃじょう)になっていたのだが、今はもとにもどって静かさをとりもどしている。
岬のつけ根にあたるところに少しばかりの平たい台地があり、小さな古ぼけた小屋がたっている。小屋には一人の老人ゴロウが住んでいる。あたりは松林だが、たえず海から吹きつけてくる風のため、幹も枝も一様にかたむきはいつくばっている。
小屋の下手は砂浜がながくつづき、夏には人々でにぎわうこともあるのだが、それもほんのひとときで、シーズンが終わるとおとずれる人もなく静けさをとりもどす。最近は、この小屋をおとずれる人はほとんどいない。ときたま漁港のある町から、郵便局の配達人が自転車をおしてのぼってくるくらいのもの。それも、1年にかぞえるくらいにへった。
夕日をあびてジュンがナップザックを背に風呂敷をさげ、小屋へとのぼる道を歩いていく。
ジュンは母さんと離れてくらすのは初めてのことでもあり、ゴロウじいちゃと2人だけで過ごすのは、何か怖い気もする。母さんはジュンを車で送るといったが、ゴロウじいちゃんはジュンが一人で電車で来るようにいった。

<ディーパック・チョプラ 「エイジレス革命」……2 >

 

意識には老化のプロセスを変える力がある。

人の年齢は、歴年齢、生物学的年齢、心理的年齢と3つの年齢があります。 年齢に関係なく、若い心は若い身体を創ります。 

 歴年齢:――誕生してから今までに経過した日数ではかった年齢。

生物学的年齢:――代謝プロセス、内臓の機能など、体の状態による年齢。

心理的年齢:――あなた自身が自分をいくつと感じているか。

 

老化を促進する要因:抑うつ症状/感情を表現できない/無力感/一人暮らし/孤独/決まった日課がない/決まった仕事がない/経済的に苦しい/他人に批判的……

老化を遅らせる要因:幸せな結婚生活/仕事に満足している/生きる喜びを感じている/よく笑う/決まった日課がある/余暇・趣味がある/将来に対して楽観的……

 

コロンビア大学医学博士:ダンバーの「100歳予備軍」

1.変化に対して創造的に反応する。

2.不安がない。

3.たえず新しいものを創造し、発明する能力。

4.新しい事態に適応していくエネルギーが人一倍強い。

5.新しい物事をどんどん自分の中に吸収する能力。

6.生きたいという意欲。

 

シカゴ大学心理学者バーニス・ニューガーデン :「人生に対する満足度」

1.日々の活動に喜びを見出す。

2.自分の人生を意義あるものとみなしている。

3.自分の人生の主要な目標を成しとげたと感じている。

4.肯定的な自己イメージをもち、自分を価値ある存在とみなしている。

5.楽天的である。

 

自分の体のエネルギーと情報の流れを意識的にコントロールできることを実感する。

つぎのように願ってはどうか。

今日、私は

1.より多くの活力がみなぎるのを感じたい。

2.より目覚めた意識を持ちたい。

3.より若々しい情熱を持ちたい。

4.より創造的でありたい。

5.あらゆるレベルで、肉体的・精神的能力がたかまりつつあることを感じとりたい。

 

次のメッセージを自分に言い聞かせよう。

「自己のうち奥からフィードバックされるメッセージは、最高の教えだ。それに素直に反応すればするほど、欲求を実現する意志の力は高まっていく」

永遠の若さを生きる!

ホリスティック医療第一人者:ディーパック・チョプラ 「エイジレス革命」 永遠の若さを生きる!

……この本の目的は、時の息吹が衰えることなく、絶えず新しく生まれ変わる沈黙の世界を探索することである。だれ一人老いることのない世界を探索しようではないか。その世界は、どこか遠くではなく、あなたの中にあるのだ……(本文より)。

年をとればだれでも衰弱し、死んでいく。私たちはふだん、そう信じている。それが現実だと思っている。しかし、著者チョプラは、あえて問う。 人が現実と呼ぶものも、しょせんは一つの「仮説」にすぎないのではないか。 そんな仮説を捨てれば、未知の地平が開けてくるのではないか。

チョプラは「新しい仮説」を大胆に提唱する。 

はつらつとした若さ、日々新しく生まれ変わる体、創造性、喜び、充実感。 だれもが時間を超越して生きられる世界。 精神も肉体も老化を知らず、死の不吉な影が私たちを脅かすことのない世界に、足を踏み入れることができるのではないか。

<本当のあなたの「こころ」と「からだ」を創る実践講座>1

【ポイント】:<現代を強く美しく生きぬくための、自分自身を鍛える4講座>
「存在の究極」の基盤というのは、“あなた” なのだ――あなたは、<それ>なのだ! 一個としての有機体としての「私」は、全宇宙を成立させるほどの途方もない才能を持った構造物でもある。失われたものを再生する仕組みを、4冊の「課題図書」から学び、「真実の我」の本来の在り方をとりもどす。

【講座内容】

1. 老・病・死は人間の宿命ではない

自ら考え、感じることによって自分自身の生化学的プロセスを左右できる

『エイジレス革命』:――永遠の若さを生きる

……ディーパック・チョプラ(講談社)

2. ほんとうのあなたとは誰であり何者なのか……

「存在の究極」の基盤というのは、“あなた” なのだ――あなたは、<それ>なのだ!

『タブーの書』:――私たちは変装して自分ではないふりをしている神様なんだ

……アラン・ワッツ(めるくまーる)

3. 戦士は、たとえいかなるものであろうと、自らの運命から逃げない

人間であることの恐ろしさと、人間であることの素晴らしさの、均衡を保つこと

『時の輪』:――古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索

……カルロス・カスタネダ(太田出版)

4. ヨーガとは心のはたらきを止滅することである

5種類の心のはたらきとは、(1)正知 (2)誤謬 (3)分別知 (4)睡眠    (5)記憶である

『解説 ヨーガ・スートラ』:純粋観照者たる真我は自己本来の態にとどまる 

……佐保田鶴治(平河出版社)

【講師プロフィール】近澤 可也(ちかさわ かや) 

石川県金沢市出身。1956石川県総務部総務課退職。1961年東京大学工学部建築学科卒業。東京大学大学院都市工学『丹下健三研究室』修士終了。1965年株式会社『パンデコン』設立代表取締役。『パンデコン建築設計研究所』所長。農山漁村文化協会『食と農の応援団』団員。『ふるさと未来研究所』代表理事。

www.pandecon.net/
www.facebook.com/kayachika/

「人生をやり直せるなら」: …… 貴方なら、どうなさいますか ❓

「人生をやり直せるなら わたしは もっと失敗をして もっと馬鹿げたことをしよう」

これは本のタイトルです。

長い題名の本ですね。

著者:ラム・ダス  訳者:ヒューイ陽子

手に取ってみると、本の帯には

「老い」と「死」を ポジティブにとらえ直せば 人生はもっと愉快になる

老人には風変わりな人間である自由があり、

その場の思いつきで行動する自由がある……ラム・ダス

おもわず購入しました。

本の中に、85歳になるナディーン・ステアという女性が書いた文章がありました。

その文章の一部を、本のタイトルにしたのです。

以下に抜粋して、ご紹介します。

 

人生をもう一度やり直すとしたら、今度はもっとたくさん失敗したい。そして肩の力を抜いて生きる。もっと柔軟になる。今度の旅よりももっとおかしなことをたくさんする。あまり深刻にならない。もっとリスクを冒す。もっと山に登ってもっと川で泳ぐ。アイスクリームを食べる量は増やし、豆類の摂取量は減らす。……

……もう一度生き直すとしたら、春はもっと早くから裸足で歩きだし、秋にはもっと遅くまで裸足でいる。もっとたくさんダンスに出かける。もっとたくさんメリーゴーラウンドに乗る。もっとたくさんのデイジーを摘む。

それぞれの瞬間をもっとイキイキと生きる。

 

なるほど、その通り、同感しました。

ともすると、ガチガチ真面目に、窮屈に生きている自分を反省しました。

自分を縛っている鎖を解き放ち、もっと童心に帰り、もっと自由に生きたいと思います。

そんなわけで、ご参考までに皆様方にご紹介しました。