私にとって、これからの毎日は……82歳のアートマン氏❣️❣️の地上における < 最後の戦い >‼️です。

私にとって、これからの毎日は……82歳のアートマン氏❣️❣️の地上における < 最後の戦い >‼️です。出陣の準備をしています。

オハイオ‼️ : 面白い❣️、初めての❣️、意味のある❣️、驚きの❣️ものを創りましょう。

お役に立つことをしたいと思います。皆様方のご支援ご鞭撻を、伏してお願い申し上げます‼️

私にとって、これはきっと、<最後の戦い>になるかもしれない!!


現れる、一つ一つのことどもに、心を一にして全身全霊でことにあたる。

カルロス・カスタネダの言葉が思いだされる……
<最後の戦い>……いい響きだ!!
<なにであれ、今時分のやっていることが、
地上における最後の戦いになるかもしれないことを、
じゅうぶんにわきまえて行動すれば、
そこには、不思議と心奪われるような幸福感がある>

……イクストランへの旅からの言葉:カルロス・カスタネダ

自分で考え、自分で判断し、自分で決定し、自分で行動する‼️

自分で考え、自分で判断し、自分で決定し、自分で行動する‼️……そうありたいです。
自分の好きなこと、自分のやるべきこと、自分の得意なことをして、人の役に立ち自分も感動し長く続けられる仕事ができれば幸せです。
しかし、フリーで仕事をやっていくのは何ら保証はない。果たして食っていけるのか……怖い。でも今どきは、サラリーマンになるのがはたして、そんなに安全なことなのか……⁉️
先のことはわからない。今、自分が何をやりたいのか❓ 今、何をしなければならないのか❓
たった一度の人生です。今、やりたいことを悔いのないよう全力を挙げてやれば、それでいいのです‼️

<……かかるがゆえに、生(しょう)きたらばこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがうことなかれ……>

道元の『正法眼蔵』付巻五章の「生死」の説法の1節です。
道元の言葉は、宗教的な説法というよりは、文学的な詩の趣きがあります。

この「生死」の言葉は、道元のはげしい気迫に満ちた「現成公案」の章とは異なり、おだやかで、やさしさで語りかけてきます。
声に出して何度も詠んでいると、身体にしみわたり心が落ち着いてきます。

<生より死にうつると心うるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきあり、のちあり。かるがゆゑに、仏法の中には、生すなわち不生という。滅もひとときのくらゐにて、又さきあり、のちあり。これによりて、滅すなわち不滅という。生というときには、生よりほかにものなく、滅というとき、滅よりほかにものなし。かるがゆゑに、生(しょう)きたらばこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがうことなかれ。>

……『正法眼蔵』付巻五章「生死」:道元

……生のときには生しかない。
生のときは……、全力で生きようという!という気が私の身体に満ちてきます。