『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……2

『ゴロウじいちゃんの話:あのときの夏』……2🎅近澤可也 作
<ゴロウの話Ⅰ……戦時下:国民学校での日々>

夕食のあとかたづけを終えてから、ジュンはゴロウに話をせがんだ。ゴロウはジュンを前にして、目をほそめ、なにかかくしていたことを思い出すように話はじめた。
「あれは、いつのことだったろう……子供の頃、そう、ジュンと同じ小学校の5年生のときだ。あの頃は国民学校といっていたんだが……」

「変なの。国民学校というんだ。初めて聞いた」

「ああそうだ、ジュンと同じ年だったんだね」

「それで…」ジュンはゴロウの顔をじっとみつめ、話の先をまっている。(話をきいてくれる人がここに、今、いるということはこんなに気持ちがはずむものとは)…ゴロウは遠く過ぎ去った日々を思い浮かべ、話をはじめた。
「あのときは、昭和20年……西暦でいうと1945年の夏だった。日本がアメリカと戦争していて、負けた年なんだ」

ジュンは得意げに答えた。

「ああ。それなら知っているよ。第二次大戦。太平洋戦争というんでしょう。歴史の時間で教わりました」

ゴロウは、しみじみ語りだした。

「おじいちゃんたちは、大東亜戦争といっていたがね。『東洋平和のためならば、何で命が惜しかろう……』と一生懸命歌っていた」

「何で命が惜しかろう? こわい! 死ぬ気でいたのね」

「そうだよ。おじいちゃんたち、そうだ、ジュン君と同じ年だったが、本気で死ぬ気でいた。東洋平和のためだと本気で信じていた。鬼畜米英(きちくべいえい)といって……そういう風に教え込まれていたんだね。こわい話だ」

「キチクベイエイ? おじいちゃんの話、むずかしい言葉が多すぎて、ぼくにはわからない。かんたんにいってよ」
ゴロウは黙って、コップの水を指につけてテーブルに字を書いた。

「鬼と……そうだ、家畜の畜だ。米英は、アメリカとイギリスだよね。なんだかこわい感じ」

「はじめは米国英国の人たち外人を、毛唐(けとう)といっていたのだが…… 鬼畜とは読んで字のごとく、鬼、畜生のたぐいだということ」

「鬼はわかるよ。だが畜生とは?」

「ごめんごめん! またまたむずかしい言葉だね。畜生とは仏教の言葉で、動物のことをさすのだよ。白人は鬼やけだものなみだということだ。だが心の底では、きっと怖ろしかったんだろうな」

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